Evernote Days 2014 Tokyoに参加した(9)
こちらのエントリーの続き.Evernote Days 2014 Tokyoのレポは今回が最後になります.
東大寺塔頭清凉院の住職,森本公穣氏による『東大寺1200年の記憶』と題した講演です.
10年一昔と言いますが,Dog YearなIT系では,2年くらい前が既に一昔です.10年前となると,『ノスタル爺』という名の語り部が語って聞かせる歴史世界.20年前ともなると,既に神話の世界と言って良いでしょう.
そんな面から考えると,『1200年』は凄まじく長い時間に感じます.
しかし,西暦で考えると今現在は2014年.『文字』で記された最古の記録は殷代中国の紀元前14世紀のものになりますし,『絵』で記された最古の物は後期旧石器時代にホーレ・フェスルの洞窟壁画に描かれた約3万5000年前のもの.
人類は長期間に渡って記録を続けており,凄まじく膨大な記憶・記録を持っています.
と,いうことで,最終日の最後の講演,『東大寺1200年の記憶』が始まりました.
森本氏は袈裟姿で登壇.
耳に心地よい声で淡々とお話しをされるため,耳で聞いて頭で解釈するというよりも,耳から入って心で感じるといった感じでした.
仏教徒の場合は葬式のときに説法を聞くことが多いと思いますが,そんな感じです.
なお森本氏はtwitterアカウントもお持ちで,活発につぶやかれています.
そして『東大寺』.
会場でアンケートを取ったところ,殆どの人が行ったことが有るとの回答.殆どの中学・高校では修学旅行コースに組み込まれていますよね.
私も修学旅行で何度か訪れたことがあり,現在は車で少し走ると行ける距離に住んでいる関係で,家族で何度も訪れています.とても身近に感じています.
そして東大寺と言えば,世界最大の木造建造物である『東大寺大仏殿』(東大寺金堂)や『奈良の大仏』(東大寺盧舎那仏像)で有名です.
しかし,東大寺は『寺』ではありますが,一般的なお寺とは少し違う.東大寺ではお葬式をすることがなく,お墓もない.東大寺の僧侶が亡くなったとしても,お葬式は別のお寺で行うとのこと.
では,東大寺は何をする所なのか.元々は仏教を学ぶ学校であり,全ての生命の繁栄を願う場所として造られたお寺であるとのこと.
東大寺ではバチカンが行っているようなデジタルアーカイブ化は行っておらず,今回の講演はDB化についての話ではないとのこと(公演前に期待されたようです).
と,いった流れでお話しが始まりました.
前回同様,私なりの要約をしますと,
- 東大寺の生い立ちや時代背景.現在は東日本が地震の活動期に入っているが,当時は西日本が活動期だった.その他にも数々の天災があり,聖武天皇が救いを求めるために仏教を学ぶことにした.
- 大仏の事業に260万人が寄進した.日本全体で500万人くらいしかいない時代なので,全人口の約半数が協力したことになる.
- 天平勝宝4年4月9日(752年5月26日)に大仏開眼供養が行われた.開眼供養は僧侶が大仏の前で筆を持ち,目を描き入れる仕草をするのが作法.このときに使用された筆と結びつけられていた紐は,現在もそのままの形で正倉院に保管されている.
そしてここから,東大寺の受難と復興の歴史の話が始まります.
- 東大寺は二度焼かれた.
- 最初に焼かれたとき(鎌倉時代)に復興させたのは重源上人.国の援助による復興ではなく,勧進活動によって得られた協力で再建.南大門の金剛力士像は,重源上人の時代に造られたもの.
- 二度目は戦国時代.松永久秀によって再び焼かれた.これを再建したのは当時37才だった公慶上人.
- 公慶上人も権力・財力ではなく,一般の人々の協力を仰いで再建を目指し,一軒一軒托鉢をして回った.
- 托鉢のときに同じ場所に何度も行かないようにルートマップを作成して管理していた.また,大仏殿が出来るまで7年もの歳月を要したが,その間,『再建なるまでは』と布団を引いて横になって寝なかった.
- しかし公慶上人は落慶を見ることなく亡くなった.今で言う過労死.その後弟子達が大仏殿を完成させ,大仏が見える方向に公慶堂を造った.
- お水取りでは,昼の後,飲まず食わずで10時間以上も法要が終わるまで頑張る.そして記録が脈々と文書(もんじょ)として残される(二月堂修二会記録文書).これは担当者が記録する.
- 『牛玉誓紙』という紙がある.戦国時代(1472年)から現代に至るまで,法要に参加した人の名が書き連ねられている.ここには公慶上人の名もあり,そして森本氏のお父様,そして氏の名前も記録されている.このように受け継ぎ,そして伝えていく.
- 光明皇后が大仏に献納した物のリストがある.袈裟から始まり,最後にベッド2つ,そして被い(シーツ)で終わる.
- (寝具の内容から)天皇皇后はシングルベット2つにシーツを1枚かけて寝ていたことが分かる.記録が残ることにより,当時の生活の様子を知ることが出来る.
- 国家正倉院帳の最後には, 天皇がお隠れになられた後,天皇の遺品を毎日見る度に皇后の心が崩れ,砕けてしまう.それに耐えられないので,ベットのようなプライベートな物まで天皇が心血注いだ大仏に献納することにした と,書かれている.
そして最後に, 「私達もいずれは亡くなる.そのとき,私達の記憶・記録・気持ちをどのように後生に伝えていけるか.それが『未来の記憶』」 と,いう話で結ばれました.
非常に壮大なお話しで,一人の人間の存在なんてちっぽけなものだなぁなんて思わされました.
そしてその反面,一人一人の気持ちや行動が積み重なって今が存在する.人々の思いや記憶も単独で存在するのではなく,連続したものとして記録されて行き,自分の後の時代にも繋がって行くのだということも実感させられました.
ここまで来ると,石井氏の講演にあった,アーキテクトやエコシステムというものをカプセル化し,更に上位の『人とは』的な観点から『記憶』を論じなければならなくなるかもしれませんね.
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そして特別講演終了後,再びGMが登壇.
『Evernoteは100年企業を目指すと言っていたけれど,1200年とはスケールが違う』というお話しや『科学館の展示の方にも是非足を運んで下さいね』という関係者への配慮あるお言葉の後,締めの挨拶になりました.
激しく密度が濃い,あっという間の2日間でした.
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