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2011年6月13日 (月)

ウメサオタダオ展に行ってきた(1/2)

と,いうことで,先日宣言した通り,万難を排して『ウメサオタダオ展』に行ってきました.

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徹夜明けに近い状態だったため,体調が今ひとつ&天気も悪く,朝方まで大雨.そして日中の天気予報は曇りだけれど,急に降ってきてもおかしくない空模様.そして何よりも,家から電車で2時間近くかかる距離.

家を出る前に再び躊躇したけれど,『6/14までなので,行くチャンスは今日くらいしかない』と,いうことで,思い切って行ってきました.

会場は,万博公園内にある国立民族学博物館(民博)の特別展示館.梅棹先生は,民博の初代館長でもありました.

千里中央駅からモノレールに乗り換え,万博記念公園駅で降り,そこから太陽の塔を眺めながら公園の中を横切って…という感じで,辿りつくまで予想以上に時間がかかりました.閉館が5時だったので,思わぬタイムロスに少々焦りつつ,2時頃に到着.

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入り口.気分が盛り上がってきます.

下の写真は,2Fへの階段から撮影した会場.民博は基本的に,梅棹先生が打ち出した,『撮影可,触るのも自由』という博物館らしからぬ展示方法をしています.『ヨーロッパであれば,こんな展示方法をしたら展示物が全て盗まれるよ』と,当初は危惧されていたらしいのですが,(梅棹先生曰く)『性善説に則った』とのこと.そして今まで一度も盗難に遭ったことが無いのだとか.

東日本大震災のときもそうでしたが,日本人のメンタリティとして,誇れる部分であります.

そしてウメサオタダオ展でも,撮影は自由.しかし,物はかなり貴重で痛み易いものが多いため,実物はショーケースに収められています.その代わり,コピーした物が自由に触れるように置かれていました.

会場内を少し説明すると,中央にあるのは,梅棹先生の机.上から様々なお言葉が記された垂れ幕が下がっています.そして1Fは過去の研究に関するもの,2Fは足跡と遺品的な物という感じで展示されていました.

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これは2Fから.2Fは壁にぐるりと年表が貼られています.

なお,あまり人が写り込んでいない写真を選んでアップしています.実際にはかなりの人で,研究員の解説が聞ける時間帯は大勢のツアーに巻き込まれているような感じの人出でした.

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下は日本語で書かれた1956年4月14~17日の日記の実物.上の手帳はローマ字で書かれた日記.

著作を読まれた方であればご存知のとおり,先生は強力なローマ字推進波の一人でした.この部分に関してては賛同しかねるのですが,日記もローマ字で綴っていた時期があるという徹底ぶりは凄い.

私の個人的な意見ですが,毎日数行でも良いので,日記を書く習慣を身に付けると良いでしょう.後から読み直して振り返りが出来ることの他に,書く際に一日を振り返って反省したり,明日の計画をや行動方針を練るよい機会になります.何となく次の日が始まるよりも,遥かに良いスタートが切れるでしょう.

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遺品として,アイゼンとピッケルも展示されていました.先生は,椅子に座って過去の文献をひっくり返しながら論文を書くというタイプではなく,フィールドにガンガン出て行き,調査をされるタイプです.『その目で見たんか?』というフレーズが有名ですが,とにかく自分の目で見て確かめ,そして考えることに拘られていたようです.

物持ちの良さにも驚くのですが,アイゼンとピッケルを装備しないと行けないような所に,も直接出向いたということが分かります.

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和服と昼食のしつらえ.自室では和服を好んだそうです.湯呑みは中学時代の友人,陶芸家の河井博次氏の作だそうです.一流の方の周りには,一流の人が集まりますね.

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愛用の背広,アタッシュケースとその中身,わすれな盆.見た瞬間痺れてしまいました.

アタッシュケースの上にあるのは,ゴムバンドで束ねられた京大カード.小物に至るまで,実に良い品を選択をされています.そしてオシャレと言いますか,ダンディズムが垣間見える.

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年表にはイベントや社会情勢について書かれている他,結婚式の写真をはじめとした当時の写真が貼られていました.横には受勲された文化勲章も.そして2Fの壁にぐるりと貼り出されている年表は,2010年を最後に途切れていました.

民博館長退官記念講演では,あと20年は現役で…と語られていたのですが,それにあと2年届かず.享年90歳でした.

相当な大酒飲みであったと聞いているのですが,大きく健康を害することもなく,ここまで長生きされることにも驚くのですが,最期まで著作活動を続けられていたのにも驚かされます.

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そして1Fには,民俗学者,知的生産系やLifeHackerが『うぉぉぉ』と,声を上げたくなるような貴重な物が展示されまくっています.

例えば実際に先生が使われていた『こざね』と,『こざね』を作るために使用していた裁断機.

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特注のオープンファイル形式の『一見ファイル』の実物.

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スケッチや写真を収めたアルバム.先生は絵を描くのも素晴らしく上手です.鋭い観察眼や物事の論理的な組み立て能力が,このような緻密かつ正確なスケッチを描く能力をもたらしていたのでしょうね.

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そしてローマ字カード.フィールドノートに書いた内容をタイプライターで京大カードに打ち込み,手作りの袋に入れて整理したとのこと.そしてカードには,フィールドノートのページ番号が記されているとのこと.

この流れ,『測量野帳→情報カード』という,PoICの流れに通じるものがありますね.

遺された物をもっと深く調べてみると,著作にアウトプットされていないような素晴らしい物がまだまだ眠っているかも.研究方面だけでなく,情報活用法に関するアイデアも.

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そしてこれがフィールドノート.缶に納めっれているものは,終戦のゴタゴタの際に苦労して持ち帰って来られた,『あの』モンゴルの研究の物です(1944-46).『物』としての存在感だけでなく,その内容に関する重みにもドキドキしてしまいます.

そして右下は,『発見の手帳のよみがえり』(1949).『考えていることを文字化して書く』というのは実に重要なことであると実感させられます.

そしてフィールドノートの束は,何かこう…見ているだけで素晴らしくワクワクして来ます.

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下の写真は,『お,これ良いな』と,思った,『自家製謹呈カード』.このような自作の拘りの小物もいい感じです.

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そしてこの他,1940年の白頭山遠征隊からの数々のフィールド調査の記録が,個別に陳列されています.

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スケッチの数々.実に素晴らしい.

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こちらは戦後のフィールドのコーナーにあった木箱.一つ一つの言葉が,実に重みがあるように感じられます.

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途中からはスケッチが減り,写真が多くなります.やはり写真は瞬間的に正確に記録できるので,便利ということでしょう.しかしそのアングルは,実に味があります.学術的な記録という感じだけでなく,芸術性を感じるものも.一点だけに深いタイプではなく,多くの分野に多彩な才能を持っておられた方であると改めて感じさせられました.

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長くなりましたので,分割しました.こちらに続きます.次は主に,『知的生産の技術』を読んで梅棹先生を知った方向けかな.

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